2012年8月31日金曜日

船岡山の建勲神社












建勲神社。

「たけいさお神社」と言うのが正しいそうですが、「けんくん神社」と呼ばれることが多いようです。




















この神社、北大路通りにほど近い船岡山という丘陵に位置しています。

船岡山は、平安京が造営される際、北の基準点とされたと考えられている場所で、平安京のメインストリートである朱雀大路 ( いまの千本通り ) の北端に位置しています。




この静かな船岡山はかつて鳥辺野、仏野とならび京都の三大葬送地である蓮台野の東に位置しています。

徒然草には、

都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。

一日に一人・二人のみならんや。

鳥部野・船岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。

されば棺をひさく者、作りてうち置くほどなし。

若きにもよらず、強きにもよらず、思いがけぬは死期なり。

と綴られています。

諸行無常ですね…


























本殿は山の上にあります。

標高は112メートル。































祭神は織田信長。

戦乱を統一し、朝議復興を指向した信長を称えるため、明治天皇の勅により創建。

当初は信長の子孫が住んでいた東京と、織田家の所領があった山形県天童市に建立されたそうですが、信長の家臣であった豊臣秀吉がここ船岡山を信長の廟所として定めていたことから、明治13年、東京の建勲神社が船岡山に遷座されたという、京都にあっては比較的新しい部類の神社です。

ちなみに山形の天童市には今でも建勲神社があるそうです。

























拝殿。


























本殿。

壮麗な殿舎です。












































この時代、人生は50年だったわけですね。

あと8年しかない…



























拝殿から振り返ると…




大文字が見えます。

五山の送り火の日には、たくさんの人が見えられるそうです。


























叡山も。

































2012年8月29日水曜日

八坂庚申堂














八坂の塔。




の、すぐ下に、






















八坂庚申堂があります。























正式には大黒山金剛寺庚申堂といい、平安時代に浄蔵貴所が開祖したと伝わります。

この浄蔵貴所はなかなかすごい人物でして、学問、文学、声明 ( 仏教音楽 ) にすぐれ、死んだ父親を生き返らせ、傾いた八坂の塔をもとに戻したり…
なかなかマルチな僧だったようです。
祇園祭の「山伏山」に祀られる山伏は、この浄蔵貴所のこと。
























山門の上には、みざる・きかざる・いわざる。























ひときわカラフルで目を引くお堂。









このカラフルなお手玉のようなものは、くくり猿、といわれるもので、猿が手足をしばられて動けない姿をあらわしています。















欲望のままに動き回る猿を人間の欲望になぞらえ、その手足をしばることで欲をコントロールする、という意味があるそうです。

これどっかで見たことあるな…と思ってたんですが、飛騨高山のさるぼぼに似てるんですよねぇ…











































京都ではめずらしい、ユーモラスな寺院です。




















近隣を歩くと、いろんな場所にくくり猿がいますよ。

























2012年8月25日土曜日

青蓮院門跡













門前の大くすのき。
親鸞が植えたものとされています。





























青蓮院門跡。
三千院、妙法院とならんで、天台宗の三門跡のひとつです。

門跡とは皇室や摂関家出身の人が門主 ( 住職 ) を勤める格式の高い寺院のこと。





















































華頂殿。

いわゆる書院です。

























もともと比叡山にあった青蓮房が起源で、平安末期に山下に移されました。

鳥羽上皇の后・美福門院がここを祈願所とし、上皇の第7皇子であった覚快法親王が入寺したことから、以後皇族・摂関家が門主を務める門跡寺院に。
























室町時代に相阿弥が作庭した池泉回遊式の主庭。

龍心池。



























小御所へ渡る廊下。












秀吉の寄進と伝わる一文字手水鉢。

























小御所。









小御所からの龍心池。























国宝の青不動。




の、レプリカ。

ほんものは奈良国立博物館にあるそうです。

























宸殿。


















この御簾のむこうは撮影禁止。

宸殿があるのは、江戸時代に天皇の仮御所となったことがあるためです。
そのため粟田御所、ともいわれます。



御所のお約束である、




右近の橘、左近の桜。



























































































こちらは小堀遠州作庭の霧島の庭。

































好文亭。




後桜町上皇が仮御所とされていた際、ご学問所として使用されていた茶室です。








































鐘楼。





























四脚門。
































大玄関。



























ここ青蓮院には黒谷のページでも触れた恵心僧都が著した「往生要集」が所蔵されています。

見てみたいなぁ…









































2012年8月22日水曜日

墨染寺









京阪電車の墨染 ( すみぞめ ) 駅からほど近い墨染寺 ( ぼくせんじ )。




町中にひっそり溶け込んだ見逃してしまいそうなお寺ですが、とても人気のある場所です。
























874年、清和天皇の勅願により、藤原良房が建立した貞観寺がその前身。





平安時代、このあたりに葬られた藤原基経をしのび、親交のあった歌人・上野岑雄はこんな歌を詠んでいます。

 深草の 野辺の桜し 心あれば 今年ばかりは 墨染に咲け ( 古今集 )


ふしぎなことに、その後ここには喪に服したかのような墨染色の桜が咲くようになったといわれています。





時代は下がり、秀吉がこの謂れを聞いてたいそう感心し、姉が帰依していた日秀上人に寺領・土地を寄進して法華本宗の寺・墨染桜寺 ( ぼくせんおうじ )、として再興させ、いまに至ります。























別名・桜寺。





境内には10本ほどの桜の木があるだけですが、境内はそんなに広くないので、とても密度の濃い桜を見ることができます。

ふだんはひっそりしたお寺ですが、桜の季節には全国から、謡曲や歌舞伎でも知られる墨染桜を見にこられるそうです。



















墨染桜。








































少し歩くと、琵琶湖疏水も。