伏見の御香宮神社。
大手筋に面した表門。
神社というより寺の山門といった感じなのは、伏見城の大手門を移設したものだからです。
これは、秀吉が伏見城を普請した折、城の鬼門を守護するためにこの神社を城内へ移築したのですが、徳川の天下になると家康はそれを壊し、元の場所へ戻した、といういきさつによるものです。
京都や大阪の歴史を見ると、いかに家康が秀吉の痕跡を消そうと腐心していたかがよくわかります。
境内から表門を見る。
司馬遼太郎の作品に、この表門の前に寿司屋があった、と記述があったように思うのですが…
いまは和菓子屋さんがあります。
なんて作品だったか思い出せん…うーん。
ご献酒。
伏見は酒の本場です。
絵馬堂。
左端の武者どのの朽ち具合が怖すぎる…
御香水。
もともと伏見は伏水と表記されたくらいおいしい水が湧くところ。
この御香水も、環境庁の名水百選に選定されています。
…が、生では飲んではいけないそうです…
銅灯篭と拝殿。
本殿。
創建については定かではないようですが、貞観4年 ( 862年 ) に修復された記録が残っていることからそれ以前からあったことは間違いなく、香、という字を使用していることから筑紫の香椎宮から勧請されたとする説が有力です。
ご祭神は神功皇后。
神功皇后は神話においてお腹にこどもを宿したまま勇猛に戦ったことから安産の神様といわれています。
ということで、ここ御香宮も安産祈願に訪れるひとが多いのですが、実はうちの娘もここで初参りをさせてもらいました。
御香宮をあとにして、大手筋通りを山の方へ。
するとJR桃山駅の踏み切りに出くわします。
桃山の地が明治天皇の陵墓に選定された後、駅は大拡張され、ここから葬送の列が棺が運んだそうです。
その後、日本の軍国化が進むに従って、日本中から天皇陵を詣でる人が爆発的に増え、昭和7年1月には15万人ものひとたちが参拝したといわれます。
いまは1日の利用者が2,000人にも満たないのどかな駅で、当時のにぎわいをイメージすることが難しいくらいです。
参道。
このあたりの森は、指月の森、と呼ばれています。
明治天皇陵。
秀吉が築いた伏見城の本丸跡にあたる場所です。
上円下方墳。
墳丘にはさざれ石が葺かれています。
振り返ると…
参道の階段。
トレーニングするひとたちがたくさんいます。
ここはひそかな夜景スポットなんですよね…
遠い昔、ここで女の子と大げんかしたことは、にがい思い出 笑
宇治方面。
静謐ですてきな場所です。
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