2012年7月14日土曜日
梅雨の京都御苑 そのニ
前回の続き。
建礼門から南へは建礼門前大通りが延びています。
御苑のメインストリートですね。
また近所のひとたちにとっては生活道路。
自転車もひんぱんに走っています。
御苑内の道は砂利なんですが、同じ場所を自転車が走ることにより砂利がなくなり、一本の細い道になっている箇所があり、自転車道のようになっています。
この細い道のことを「御所の細道」といいます。
凝華洞跡。
後西天皇が退位後に住まわれた仙洞御所があった場所とされ、この小高い盛り上がりは池に浮かぶ島であったそうです。
大正天皇の即位の礼が行われた際、葬列を通すために池は埋め立てられ、この小高い島の跡だけが残されています。
ずっと南へ歩く。
彼方にさきほどの建礼門。
いやほんと広いんですよ。広すぎるんですよ。
汗だくですよ、もう。
建礼門前大通りのどん突きには九條邸跡。
九條家は、近衛、一条、二条、鷹司家とならび公家の中でも最高の家格とされる五摂家のひとつで、この五摂家が成立して以来、これらの家の当主だけが摂政・関白にまで昇進することができました ( 例外は秀吉と秀次 ) 。
九條家は兼実を祖とし、平安末期、権勢をふるった後白河法皇と平氏の勢力を批判、親源氏派であったことから、頼朝の幕府成立後に摂政・関白に続けて任じられ、さらにその子と孫は幕府の4・5代目の摂関将軍となることで、朝廷内での地位をゆるぎないものとします。
その九條邸があった場所。
九條池と拾翠亭。
拾翠亭は江戸時代後期に建てられた茶室。
いまでも予約すれば茶室として使用できるようです。
九條邸の建物は東京へ向かわれた明治天皇とともに移築されたようで、のちに東京国立博物館に寄贈され、九条館としていまでも見ることができるようです。
九條池にかかる高倉橋。
高倉橋から見る厳島神社。
元は広島の厳島神社を清盛が勧請したものだそうで、紆余曲折あって九條家の鎮守として崇敬されていたようです。
御苑には鳥もたくさんいます。
鳥を見に来られる方も、たくさんおられるようです。
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