2012年7月29日日曜日
粟田神社
京の七口・粟田口にほど近い粟田 ( あわた ) 神社。
粟田口というのは、京都の東の入り口。
その場所柄、古来から東海道、東山道を旅する人々はこの社で旅の安全を願い、また京へ無事戻った人々は感謝のお参りをされた、といわれています。
拝殿。
貞観18年 ( 876年 ) 陰陽寮から災い近しと奏上を受けた清和天皇は、全国の諸社に国家と民の安全を祈願します。
勅により、感応院祇園社 ( いまの八坂神社 ) に祈願に赴いた藤原興世は7日目の晩、祇園社の東北の地にスサノオを祀れ、との宣託を受け、この地に祀られるようになったのがはじまりとされています。
いまでは旅立ち守護の神として、旅する人たちが参詣に訪れる場所となっています。
青蓮院や知恩院のすぐそばですが、訪れるひとも少ない、静かな場所です。
小高い粟田神社からは、
こんな景色も。
2012年7月26日木曜日
黒谷
平安神宮からほど近いところに金戒光明寺、いわゆる黒谷があります。
黒谷は幕末に京都守護を担っていた会津藩と新撰組の屯所となっていたことから、よく時代小説に登場する舞台です。
ここは山門がいちばん見応えがあるのですが、またしても工事…
山門をくぐって御影堂へと至る階段です。
鐘楼。
御影堂。
ここ黒谷は、承安5年 ( 1175年 ) 比叡山から降りた法然が草庵をむすんだ場所とされ、浄土宗の最初の寺といわれています。
のちに江戸から京都ににらみをきかすため、幕府は二条城とあわせ、黒谷と知恩院を城郭構造にあらためます。
これは黒谷が小高い丘の上にあること、御所や粟田口など要所に近いこと、また大部隊を滞留させられる広い敷地を有していたことが理由のようで、いわれてみるとこの御影堂をとりかこむように18もの塔頭寺院が建ち並び、まさに城のような配置になっています。
小高い場所にあることから眺望も効き、古地図には浪華城遥矚 ( なにわじょうようしょく = 大阪城が遥かに見える ) との記録もあるようです。
阿弥陀堂。
この阿弥陀如来は恵心僧都の最後の作といわれ、如来の腹中には恵心僧都が使用していたノミがおさめられていることから「おとめの如来」「ノミおさめ如来」ともいわれるそうです。
恵心僧都は「往生要集」で「厭離穢土、欣求浄土」と説いた人で、「源氏物語」や芥川の「地獄変」に登場する「横川の僧都」のモデルともされていて…
と書き出すとキリがない。
極楽橋から三重塔。
鎧池にかかる極楽橋。
大河ドラマでおなじみお江の供養塔。
階段をのぼりつめて三重塔。
とても静か。
塔の下からは市内が一望できます。
会津藩士の墓所。
黒谷は時代劇のロケなどもよく行われます。
2012年7月22日日曜日
御香宮さんと明治天皇陵
伏見の御香宮神社。
大手筋に面した表門。
神社というより寺の山門といった感じなのは、伏見城の大手門を移設したものだからです。
これは、秀吉が伏見城を普請した折、城の鬼門を守護するためにこの神社を城内へ移築したのですが、徳川の天下になると家康はそれを壊し、元の場所へ戻した、といういきさつによるものです。
京都や大阪の歴史を見ると、いかに家康が秀吉の痕跡を消そうと腐心していたかがよくわかります。
境内から表門を見る。
司馬遼太郎の作品に、この表門の前に寿司屋があった、と記述があったように思うのですが…
いまは和菓子屋さんがあります。
なんて作品だったか思い出せん…うーん。
ご献酒。
伏見は酒の本場です。
絵馬堂。
左端の武者どのの朽ち具合が怖すぎる…
御香水。
もともと伏見は伏水と表記されたくらいおいしい水が湧くところ。
この御香水も、環境庁の名水百選に選定されています。
…が、生では飲んではいけないそうです…
銅灯篭と拝殿。
本殿。
創建については定かではないようですが、貞観4年 ( 862年 ) に修復された記録が残っていることからそれ以前からあったことは間違いなく、香、という字を使用していることから筑紫の香椎宮から勧請されたとする説が有力です。
ご祭神は神功皇后。
神功皇后は神話においてお腹にこどもを宿したまま勇猛に戦ったことから安産の神様といわれています。
ということで、ここ御香宮も安産祈願に訪れるひとが多いのですが、実はうちの娘もここで初参りをさせてもらいました。
御香宮をあとにして、大手筋通りを山の方へ。
するとJR桃山駅の踏み切りに出くわします。
桃山の地が明治天皇の陵墓に選定された後、駅は大拡張され、ここから葬送の列が棺が運んだそうです。
その後、日本の軍国化が進むに従って、日本中から天皇陵を詣でる人が爆発的に増え、昭和7年1月には15万人ものひとたちが参拝したといわれます。
いまは1日の利用者が2,000人にも満たないのどかな駅で、当時のにぎわいをイメージすることが難しいくらいです。
参道。
このあたりの森は、指月の森、と呼ばれています。
明治天皇陵。
秀吉が築いた伏見城の本丸跡にあたる場所です。
上円下方墳。
墳丘にはさざれ石が葺かれています。
振り返ると…
参道の階段。
トレーニングするひとたちがたくさんいます。
ここはひそかな夜景スポットなんですよね…
遠い昔、ここで女の子と大げんかしたことは、にがい思い出 笑
宇治方面。
静謐ですてきな場所です。
2012年7月19日木曜日
祇園祭・宵山
宵山の朝、鉾と山を見てきました。
斎竹 ( いみたけ )。
四条麩屋町に建てられる青竹。
道路を渡ったところにも同じものが。
山鉾巡行の朝、この斎竹に注連縄 ( しめなわ ) がくくりつけられ、結界が張られます。
長刀鉾の稚児が注連縄を太刀で切ることで結界が解き放たれ、鉾や山が動き出します。
長刀鉾。
毎年 「 くじ取らず 」 として必ず巡行の先頭を行くことが決まっています。
生稚児が乗るのはこの鉾だけで、稚児の注連縄切りで巡行がスタートします。
鉾頭の長刀は三条宗近作 ( じっさいに使用されるのは複製 ) で、疾病悪邪を振り払いながら巡行の先頭を進みます。
巡行の間にも、長刀の刃先が八坂神社や御所の方を向くことは決してありません。
四条通りの鉾。
手前から、長刀鉾 函谷鉾、月鉾。
函谷鉾。
室町通りへ入る。
行者さまも鉾見物。
新町通りへ。
船鉾。
日本書紀の神功皇后の船出をテーマにした鉾。
船に乗っている神功皇后のご神体には多数の岩田帯が巻かれており、祭りのあと、安産のお守りとして妊婦さんに授与されるそうです。
月鉾。
鉾頭に新月型、天王座には月読尊を祀っています。
屋根裏には円山応挙の草花図、天井には源氏五十四帖扇面散図、前懸は17世紀インド製のメダリオン絨毯、また左甚五郎作の彫刻など、絢爛豪華。
放下鉾。
天王座には放下僧の像を祀っています。
もともとは長刀鉾のように生稚児が乗る鉾でしたが、いまでは稚児舞ができる操り稚児人形を乗せて巡行します。
この人形は 「 三光丸 」 というそうです。
北観音山。
上り観音山とも呼ばれ、あと祭の先頭を巡行する曳山で、楊柳観音像と韋駄天立像を祀っています。
鉾のようですが、山なので真木には松が立てられています。
前懸や水引、飾り金具など、とてもゴージャス。
八幡山。
巡行当日には高さ1メートルの総金箔の社殿が飾られます。
黒主山。
桜と松を飾り、華やいだ雰囲気をかもしています。
巡行当日には六歌仙のひとり、大伴黒主が桜を眺める姿で登場します。
役行者山。
修験道を開祖した役行者が葛城と大峰の間に橋をかけた、という伝説をテーマにしているそうです。
ビジネス街の烏丸通りに鈴鹿山。
今年も巡行とともに、京都は梅雨が明けました。
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