2012年9月21日金曜日

二尊院














総門。




伏見城・薬医門の移築と伝わります。





























紅葉の馬場。




その名の通り、紅葉の名所です。































勅使門。




平安初期、桓武天皇の子である嵯峨天皇の勅により、慈覚大師が創建した天台宗のお寺で、二尊院という名は二体の本尊、「発遣 ( 現世から来世に送る ) の釈迦」 と「来迎 ( 極楽浄土へ迎える ) の釈迦」 にちなみます。




























二尊が安置される本堂。




平安中期には荒廃しますが、鎌倉時代になって法然の弟子である湛空らによって再興されます。





























見えているのは小倉山。




室町期に入ると、ここ嵯峨野の地にも応仁の乱の業火はおよび、ニ尊院の堂塔伽藍も焼失しますが、



































永正18年 ( 1521年 ) 、公卿の三条西実隆によって再建。






































































参道の階段をのぼって行くと、




法然廟があります。





























法然廟から左手に山道をしばらく歩くと、時雨亭跡。




藤原定家が百人一首を選定した場所です。

ただこの時雨亭跡の場所についてはいろんな説があるようで、まだ断定には至っていないようです。













時雨亭跡からは嵯峨野の風景が見渡せます。




中央やや右に見えるのは清涼寺の本堂。




























またニ尊院は皇室とのつながりが強いことから、二条、三条、三条西、四条、鷹司、嵯峨など、公家の墓が並びます。




変わったかたちの四条家の墓。






































































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