もう入り口からしてこの雰囲気。
足を踏み入れるとこれだもの…
祇王寺。
もともとは法然の弟子である良鎮によって開祖された往生院という寺。
当時はかなり広い敷地を持つ寺であったようですが、時とともに荒廃します。
荒廃をきわめた明治の初頭、ついに祇王寺は廃寺に…
残った墓と木像は近くの大覚寺によって保管されたそうです。
廃寺となった祇王寺は再建を果たします。
そのきっかけとなったのが、平家物語。
平家物語に祇王と仏御前という二人の女性が登場します。
平安末期、平氏全盛の頃、都に白拍子 ( 歌舞の一種 ) の上手といわれた祇王と祇女という姉妹がおり、祇王の舞に心を奪われた平清盛は祇王を寵愛、姉妹は清盛の手厚い保護の中で幸せな毎日をすごします。
ある日、清盛の館へ仏御前とよばれる白拍子の上手が現れ、舞をお目にかけたいと願い出ます。
はじめ清盛はこれを門前払いするのですが、祇王は仏御前を哀れに思い清盛にとりなし、仏御前は清盛の前で白拍子を舞うことになります。
仏御前の舞は清盛の心をとらえ、御前に夢中になった清盛は祇王を館から追い出す結果に…
祇王はせめてもの形見に、と、
萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いずれか秋に あわで果つべき
と障子に書き残し、清盛の館を去るのです。
あくる春、祇王は退屈した清盛から館にきて白拍子を舞うよう乞われます。
行くつもりなど毛頭なかった祇王ですが、当時の清盛の権勢を恐れた母・刀自の懇願もあり、清盛の前で、
仏もむかしは凡夫なり われらも遂には仏なり
いずれも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ
と歌い舞い、事情を知る清盛の諸臣は涙した、といわれます。
このことをきっかけに、祇王は、
かくて都にあるならば、またうき目を見むづらん、今は都を外に出でん
として、妹と母とともに髪を剃って尼となり、嵯峨の山奥にあるここ祇王寺で仏門に入ることになります。
ときに祇王・二十一、祇女・十九のときの話しです。
ある日、母子三人で念仏を唱えていると祇王寺を訪ねるものがあります。
思いもかけぬ仏御前でした。
祇王が書き残した、
あわで果つべき
という言葉を見て無常を感じ、剃髪した姿で清盛の館を出、祇王を訪ねてきたのです。
仏御前は十七。
その後は四人一緒にこの寺に篭り、朝夕の仏前に香華を供え、みな往生の本懐を遂げたそうです。
左が、祇王、祇女、母・刀自の墓。
右は清盛の供養塔。
その後荒廃し、廃されたこの寺は、明治28年、大覚寺の心ある僧と、祇王の話しを知った当時の京都府知事の尽力により、再興を果たします。
祇王寺のアイドル、まろみちゃん。
いまでは京都屈指の、人気のある場所です。
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