猥雑な祇園の街中にひっそり。
社伝によると、藤原鎌足が氏の繁栄を願って仏堂を建て、藤の木を植えて藤寺と号したのがその起こり。
平安も末の世となり、時の崇徳天皇はこの寺の藤と、住まわせた阿波内侍を寵愛し、たびたび行幸に訪れます。
やがて上皇となった崇徳は保元の乱で罪を被せられ、讃岐の国へ配流。
都に還ることなく没した上皇の菩提を弔うため、阿波内侍は出家して尼となり、この寺で仏界に生きる道を選びます。
その後、この社を訪れた大円法師の前に崇徳上皇の霊が現れます。
折から都を襲った幾多の災厄が上皇の怨霊と噂されていたこともあり、後白河法皇は上皇の霊を慰めるため、この地に光明院観勝寺を建立します。
しかし応仁の乱の戦火により光明院観勝寺は焼失。
再興されたのは江戸・元禄年間。
その際、上皇が没した讃岐の地から金比羅権現が勧請され、それ以降いつしかここは安井の金比羅さんと呼ばれ、今に至ります。
またここは悪縁切りの神社としても知られます。
婚姻・恋愛だけでなく、酒・タバコ・ギャンブルなど、あらゆる悪縁を断ち切ってくれるそうです。
お札に願いごとを書いて「縁切り縁結び碑 ( いし ) 」を表から裏へくぐって悪縁を切り、裏から表へくぐることで良縁を結ぶ、とされます。
切りたい縁がある方は、一度訪れてみては?
ちなみに崇徳上皇の御廟もすぐ近くにあります。
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