2012年7月10日火曜日

梅雨の京都御苑 その一







むしむしする梅雨の朝、御苑へ行きました。







北側から今出川通りをはさんで今出川御門。










今出川御門を入るとすぐ左手に桂宮邸跡。




桂宮家は、安土桃山時代、正親町天皇の孫にあたる智仁親王を祖とします。
子がなかった豊臣秀吉はこの智仁親王を養子に迎えますが、その後秀吉に実子・鶴丸 ( 秀頼 ) が誕生したことでこの縁組は解消。
秀吉の奏請により智仁親王は八条宮家として独立し、その家領の場所が桂であったことから桂宮と呼ばれるようになります。
この桂宮家は明治時代に断絶していますが、その家領のあった場所は今でも桂離宮として残されています。












正面に朔平門が見えます。
築地塀の向こう側がいわゆる京都御所です。











左へまがり、朔平門を振り返る。










しばらく歩くと猿が辻。




ここは御所の北東・鬼門にあたる場所。
その守りとして、角を欠いた築地塀に日吉山王社の使いとされる猿を祀ったところ、この猿が夜な夜な悪さをするので金網に閉じ込められた、と伝えられていて、いまも金網に閉じ込められた木彫りの猿を見ることができます。

そしてここは幕末の尊皇攘夷派の公卿、姉小路公知がなにものかに暗殺された場所。
享年25歳であったそうだ。
この頃の為政者は政治生命なんて薄っぺらい言葉など使わず、文字通り命そのものをかけていたのですよ…












しばらく歩くと左手に中山邸跡。
明治天皇はここで生まれた。


明治天皇の母である中山慶子のいわゆる実家ですね。
明治天皇は約4年、ここで暮らしたそうです。











森の中をずんずん歩く。














しばらく進むと「母と子の森」。


ここには東屋風の図書館があり、子供向けの図鑑や紙芝居などが誰でも無料で楽しめます。












森をつっきって…










休憩所へ。
とにかく広くて疲れる。
暑いし。









核心部分である京都御所の模型。
このときいた休憩所は左下のあたりになります。













気をとりなおして…

宜秋門。
春と秋の一般公開はここから入ります。













塀越しに叡山。













蛤 ( はまぐり ) 御門。
もともとは新在家御門という門だったのが、天明の大火災のとき普段開くことのないこの門が開いたことから、火にあぶられて開いた=はまぐり、ということで、蛤御門と呼ばれるようになったそうです。



幕末、当時京都守護を担っていた会津藩を排斥すべく長州藩が挙兵し、京都の市中約3万戸が焼けたほどの激しい市街戦が行われ、この門のあたりの戦闘が一番激しかったため、蛤御門の変 ( 禁門の変 ) といわれています。
この門には当時の弾痕も残っています。











大文字を借景に…












御所の正門、建礼門。

天皇・皇后両陛下と外国の元首級しか通ることができないそうです。








ああ、また終わりきれなかった…


( 続く )












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