2012年10月13日土曜日
知恩院
三門と華頂山。
浄土宗の総本山、正式には華頂山知恩教院大谷寺、というそうです。
叡山で修行した法然が、いかなるものも阿弥陀如来の名を唱えれば極楽浄土へ行けるとする浄土宗開祖を決意し、ここに草庵を結んだのが起源とされます。
御影堂と阿弥陀堂をむすぶ鶯張りの廊下。
本堂の御影堂は改修工事中…
廊下越しに阿弥陀堂。
43歳から80歳で没するまでの間、法然はここを中心に浄土宗の布教につとめます。
法然が説く新しい考えは旧仏教勢から激しく攻撃され、法然の没後、嘉禄3年 ( 1227年 ) には叡山の宗徒からの攻撃により破壊されます。
文暦元年 ( 1234年 ) 、法然の弟子である源智が再興。
ときの四条天皇から華頂山知恩教院大谷寺、の山号を下賜されます。
大鐘楼。
方広寺、東大寺とならぶ大きさの鐘。
至勢堂。
もともと法然の草庵はこのあたりにあったそうです。
法然廟。
その後も火災や応仁の乱の戦火によりたびたび焼失しますが、浄土宗徒であった家康が実権を握ると寺勢は拡大。
寺地は大きくなり、三門や御影堂などが建立されます。
2代将軍秀忠の娘にして豊臣秀頼の妻、千姫の墓。
敷地いちばん奥には濡髪大明神。
御影堂ができたため住む場所を失ったキツネが、ときの上人にお願いし、棲家として建ててもらったのがその起こり。
濡髪とはこどもに化けていたキツネの髪が濡れていたためだそうです。
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