六道珍皇寺。
六道の辻の石碑があります。
六道とは仏教で説かれる六つの世界のことで、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道を指します。
このあたりから東山の山麓のかけてはかつて鳥辺野といわれた葬送地で、その境界に位置する現世と冥土をつなぐ辻、という意味で六道の辻と呼ばれるようになったそうです。
六道珍皇寺の創建には諸説あるようですが、承和年間 ( 834~848年 ) 、山代淡海が創建したと記録が残るようです。
鎌倉時代までは東寺に属する真言宗の寺だったようですが、室町期以降は建仁寺に属し、臨済宗の寺として今に至ります。
本堂。
木造薬師如来坐像を祀ります。
ここはお盆の六道参りで知られます。
六道参りとは、十万億土の冥界にも響き渡るとされるこの鐘楼の鐘をつき、先祖の霊「お精霊さん ( おしょらいさん ) 」を迎える盂蘭盆の行事。
またこの寺には小野篁 ( おののたかむら ) が冥土とこの世を行き来したとされる井戸があります。
小野篁は夜な夜な生の六道 (
清涼寺境内 ) から地獄へ入り、閻魔大王の裁判の補佐を行い、死の六道と呼ばれるこの井戸からこの世に戻ったとされる、とても興味深い人物…
鳥辺野に近いことから、近くにはこのようなお店も。
夜毎飴を買いにくる女のあとをつけると墓場で泣いてる赤ん坊が…
という謂れのある幽霊子育飴。
妊婦さんや小さなお子さんがいる家庭へのおみやげに喜ばれます。
六波羅蜜寺。
六波羅とは仏教の教義である六波羅蜜に由来するといわれていますが、古来の地名である六原からきたともいわれます。
よく六波羅密、と表記されますが、六波羅蜜が正しい表記だそうです。
平安中期、空也上人が開祖した西光寺がその起源。
空也上人は踊り念仏で知られる僧。
疫病が蔓延する当時の京の町を、車に乗せた十一面観音を引きながら念仏を唱え歩き、病人に茶をふるまって多くの人を救ったとされます。
平安末期には平家一門の六波羅殿が営まれたのもこのあたり。
鎌倉に入ると六波羅探題も置かれます。
弁財天堂。
明治の廃仏毀釈により寺域は削られ、いまではかなり狭い敷地になっています。