2012年5月5日土曜日

宇治の白川




こないだ京都の地名についての本を読みまして気になった地名がいくつか。

宇治に白川という場所があることは知ってまして、何度か通り過ぎたこともあるんですが、まさかそこが藤原氏とゆかりのある場所だとは…

ということで宇治へ行ってきました。



宇治は見所の多い場所なんですが、まずは宇治川の中洲である塔の島と橘島。
これは喜撰橋から十三重石塔を写したものです。
十三重石塔は鎌倉時代に魚霊の供養塔として建立されたもの。
約15メートルあって、そばで見るととても大きいです。

宇治川は鵜飼が有名で、塔の島には鵜が飼育されている小屋もあって自由に見ることができるのですが、すいません、写真うまく撮れませんでした…




これは橘島から朝霧橋。


朝霧橋から朝日山。
いつも思うのですが緑と朱のコントラストはとてもきれいですね。

朝霧橋のたもとには源氏物語の終幕を飾る宇治十帖のモニュメント。
おいてある花はもとからあったもの。
意気なことをされる人がいるんですねぇ♪





朝霧橋を渡って宇治神社へ。
ほんとうはこの奥にある宇治上神社へ行きたかったのですが、朝早かったので閉まってた…
まさか神社が閉まるなんて思いもしなかったですよ。
さすが世界文化遺産 笑
ちなみに営業時間(笑)は午前9時から。




宇治神社には応神天皇の皇子、兎道稚郎子(うじのわきいらつこ)が祀られています。
宇治は別名「兎道」とも呼ばれますが、これはこの皇子を兎が道案内したという故事にちなんでいます。




苔がいい感じ♪


宇治川右岸の細い道をクルマで移動し、


天ヶ瀬吊橋を過ぎると、


天ヶ瀬ダム。
ここ数日の雨で、ダムも放流されていました。
このとき頭の中で鳴りはじめたのがこの曲、

【 戸川純 - 電力組曲 】 




動画探したけどこれしかなかった 笑
妙に魅入ってしまったのも事実です。




白虹橋を渡ってしばらく走って、目的地である白川へ。



もともと宇治の地は藤原頼道が平等院を建立したように藤原一族の別荘地として栄えた場所ですが、平等院からもほど近いこの場所にも、平安後期から室町時代にかけて、白川十六坊といわれる多くの僧房が建ち並んでいたそうです。
その僧房の中心となっていたのが白川金色院。
平安末期、頼道の娘、後冷泉帝の后・寛子が建立した寺院で、その名の通り堂舎に金が貼りめぐらされた荘厳なものであったようで、奥州平泉の金色堂のモデルとなったともいわれています。

いまではその建物はありませんが、この総門だけが往時をしのばせます。





藤原寛子の供養塔。
とても静かな場所です。





そのすぐ近くには白川の流れが。
祇園を流れる白川が北白川と呼ばれるのに対し、ここ宇治の白川は南白川と呼ばれていたそうです。






すぐ近くには金色院の鎮守である白山神社があります。






訪れる人も少ない場所ですが、鎌倉時代に建立された重要文化財。





苔もいい感じ♪ってまたかよ!




清め砂の崩れ具合も…
そそります。







よく目にする寺社も、その謂れを知っているとより深く見ることができるのかもしれませんね。
もっと勉強せねば。


うーん… 
しかしブログの方向性が定まらん。







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